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2013年09月11日

今は見えないけど、かたちにしたい首里城の価値-1

「今、何やってるの?」
と気軽にたずねられることが多いのですが、「んー」とか「あー」とか言いながら何を答えようかと頭をひねりながら言葉を選んだりしています。

そうして選んで答える内容の一つに、「首里城を現代に甦らせる作業」をお話することがあります。少しかっこつけていうと「首里城ルネッサンスプロジェクト」です。

「え、何で?」とこれまた気軽に聞かれるのですが、なかなか説明するのが時間がかかってしまっています。詳しくはホームページを見てほしいとかブログの記事を見てほしいと言わないと1時間ほどかかる壮大なテーマであります。それにしても、私の話もかなりあっちこっちにそれてしまうので、時間がかかってしまうという反省もあることから、それならば、私の努力で簡潔にまとめなくっちゃ、と思い、重い腰をあげて、ブログに投稿してみました。
と言っても一気に投稿しようとしたら、かなりのボリュームになりそうなので、小分けにしてお届けいたします。

まず、誰もが分かることかもしれませんが、首里城はかつての琉球国王の居城であり、王国における政治・文化の中心地でした。1429年に第一尚氏の尚巴志王が三山を統一した頃から、1879年に琉球処分で、最後の国王、尚泰王が城を追われるまでの450年間、この地が琉球の中心でした。

王国の運営によって生まれた今なお引き継がれている琉球文化、貿易に代表される外交通商施策を現代で甦らせることができるならば、沖縄はかつての姿をとりもどせるのではないかというのは、私だけでなく多くの方に共有されている考え方だと思うのです。琉球イコール沖縄ではありませんが、それでも歴史的な体験を今なお記憶と記録に残されていますので、大海原に出て、大国との貿易、政治交渉をこなせる力を持てるというのが、私たちにとって希望であり、目標になるものでしょう。

そのことを私なりにつきつめれば、かつての琉球のことを考えるとその中心にあった首里城をよみがえらせることが、そこから生み出された文化、政治スタイルを現代にも生かし、沖縄の発展に活かせるきっかけになるのではないかということなのです。どうすれば現代に生かしていくのか、ということは後ほどお伝えをしますが、首里城への思いを抱く原点というのはこういう事にあるのです。

こうして首里城をいかにうまく活用するかと考えて、現在における管理を見ていると、その所有者が複雑に分かれており、その管理方針や目標が必ずしも統一されていないように感じられました。特に、首里城正殿を含む国営部分については、県民がなかなな利用できない状況になっていることが分かりました。ならば、と思い、民主党政権時代に、首里城の国営部分を県へ移管することを提案し、そのことで昨年5月15日の復帰40周年記念式典において、野田総理(当時)から平成30年を目途に県に移管させることになりました。

この移管が実現できれば首里城のほとんどを沖縄県が管理することになり、首里城の活用に反映されるでしょう。ですから、それまでに活用のあり方を決めなくてはならないと一人勝手に焦っておりまして、その運営の全貌をまとめてみようと考えております。

その際、問題となっている箇所を取り上げ、そこから整備の手法を提起してみようと思います。

まず、そのためにも円鑑池から取り上げみようと思っています。

(写真:円鑑池の中之島にある弁財天堂。とても美しい姿をしています。)



Posted by 上里ただし at 11:35│Comments(0)
 
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