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2012年02月15日

蓮たかみち君、ありがとう

昨日、これまでの選挙で使った道具を新しい事務所に入れるために、実家へ行きました。8年前に那覇市議会へ初挑戦した際に使用した道具がわんさか出てきました。その中に100円ショップで買った青い色のメガフォンが出てきたので、次の選挙でも使えるかなと思って運びこもうと思いましたが、どうせ持っていっても使わないだろうと考え、実家で処分してもらうことにしました。
そのときこのメガフォンを使って必死になって私の名前や政策を訴えてくれた蓮たかみち君のことを思い出しました。
「蓮くん、どうしているのかなー」
と思いながら、わんさか出てくる選挙道具をひたすら軽トラックの荷台に運んでおりました。
今日、パソコンに向かうと、とあるメーリングリストに【訃報】蓮孝道@みどり市議と出ているのを見て急いでメールを読みました。そのメールには、昨日14日、亡くなったことがお報せされておりました。30歳の若さです。命の限り癌と戦った様子が彼のブログを読むと分かります。本当に惜しい人物です。
彼とは、8年前、私の初選挙に手塚よしお衆議院議員から派遣をしていただいたのが出会ったきっかけです。初めての土地で、初めての事務所なのに、なぜか溶け込んでいて、事務所のムードメーカーになりました。私の初めての選挙で街宣車に乗り込んでいただき、ウグイスではなくカラスを演じてくれました。大きな体で大きな声で応援をしてくれて、へこたれそうになった時に何度となく励まされました。翌年の選挙にも、また来てくれました。選挙戦の最終日、自転車を降りて彼と公園を走りました。彼は大きなメガフォンを持って私の後ろを走り、走りながらマイクで支持を呼びかけてくれました。随分と走り、彼も息が切れながらも必死に訴えてくれました。私はその彼の様子が面白くて、さらに走ってしまったことを昨日のことのように思い出します。
夕焼け広がる空の下、彼と二人で走ったのはとても気持ちよかったです。彼と選挙運動をしていると清々しく、楽しい気分にさせられました。そんな彼も2007年、25歳で故郷の群馬県みどり市の市議会議員に立候補しました。合併したその町の最年少議員は50歳ということでしたから、町の常識を破って立候補したような雰囲気でした。私もなんとか応援したいと選挙の前月に駆けつけました。夜、みどり市にたどり着くと、家々の灯りがぽつんぽつんと点るような地域で、よくぞ立候補の決意を固めたものだと感心しました。それでも彼が事務所を構えたのは街なかで、彼の実家はもう少し町はずれだと聞いて驚いていました。
翌朝、路肩に少し雪が残る交差点で1時間半くらい立って挨拶を繰り返しておりましたが、若い政治家に期待をする市民が多くいるようで、反応を見ていると当選することを確信しました。もちろん結果は上位当選、本当に大した後輩です。
その後も彼とのつきあいは続きました。みどり市の市議会議員となって視察で那覇を訪れた際にも会って話もしましたし、その翌年の私の県議選挙にも応援で駆けつけていただきました。本当にみんなに自慢をしたくなるような、先輩思いの後輩でした。
そんな中、2009年の選挙では見事2期目の当選を果しましたが、忙しさにかまけて私も彼との連絡が滞っていました。訃報が届いたのであります。故郷の町の発展のために真剣な彼の姿は先輩である私も見習うべきところでした。彼の通夜は17日、告別式は18日です。私も飛んで行って最後のお別れをしたいところですが、彼ならきっと、「上里さん、次の選挙大丈夫なんですか?」と言って止めるでしょう。だから私は沖縄から静かに彼の冥福をお祈りします。彼のような素晴しい人間に応援をしていただいたのは私にとって幸せなことです。
もう彼には直接会って伝えることはできませんが、それでも彼には言いたいです。
「蓮くん、ありがとね」



Posted by 上里ただし at 22:10│Comments(0)
 
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