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2011年08月15日

祈りのある生活

ブログの更新が滞っていて、申し訳ありませんでした。
8月2日から6日まで、沖縄県議会の琉中親善友好議員団による台湾視察に参加してきました。5日に沖縄に戻る予定が、台風の影響で飛行機が飛ばず台北で延泊することになりました。台湾滞在中は、朝早く起きて市内をウォーキングし、たっぷりと台湾を満喫いたしました。
さて、本日は終戦記念日。沖縄では6月23日が戦没者を慰霊する日として全県的に式典が行われる一方、8月15日はいたって静かな日であります。そんな中でも沖縄平和祈念堂(糸満市摩文仁)で「第21回祈りと平和の集い」が開催され、今年も参加をしてきました。
今年の集いには東日本大震災で犠牲になった皆さんへのご冥福もお祈りいたしました。今回の式典で挨拶に立った方の、「かつては沖縄は祈りが生活の中心であった」という言葉が印象的でした。
かつてのグスクや集落のいたるところにウタキ(嶽)があり、生活の中にごく普通に祈りがあったということを聞きますと、現在、沖縄での生活は祈りから相当遠ざかっているのが分かります。
目に見えないモノや大自然に対して謙虚になり、畏敬の念を持つことは祈りと直結しているのかもしれません。かつて、私たちの祖先と言えるような人々は、祈るからこそ謙虚になり、謙虚になるからこそ、自然とのつきあい方をよく考えていたのではないでしょうか。もちろん私の想像にしかすぎませんが、祈りを中心にした生活とは、人類の謙虚な姿勢であるのかもしれません。
そう考えると、祈りについてもう少し私たちの生活に取り入れてもいいのではないかと思うのです。もちろんそれを強要することはしませんし、そうあってはならないのでありますが、私たちの生活には欠けている謙虚さが見つかるような気がいたします。
今回の震災で改めて、祈ることと私たちの生活の関係を見直したくなりました。



Posted by 上里ただし at 20:42│Comments(0)
 
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