
2011年01月04日
遺骨収集現場視察
今日から仕事初めです。
今日は12時から観光コンベンションビューローと経済団体31団体の新年の集いに参加をしてきました。
経済界が中心の新年会で、いずれも来年3月末で期限切れを迎える沖縄振興計画並びに沖縄振興特別措置法について、代表者の挨拶で触れられておりました。
この1年間でどれだけ議論をし、大胆な制度設計ができるのか、私たちに課せられたものは、とても大きいものです。
さて、その新年会の合間に、遺骨収集の現場視察に行っていきました。この現場は、西原町幸地にあった、旧日本軍の陣地壕跡で、発見されたご遺骨がいまだに横たわっているという場所です。
案内をしていただいたのは、この現場で遺骨収集の指揮をとった、「ガマフヤー」の具志堅さんと作業員の多くを派遣された「プロミスキーパーズ」の山内さんです。
道路から少し籔の中を入り、仮設の階段を上ると、雨よけのブルーシートが旧陣地壕を覆っておりましたが、具志堅さんがそれをまくりあげると、掘り起こされて空洞になった壕に横たわった5柱のむき出しのご遺骨がありました。見た瞬間、私は思わず手をあわせてしまいました。ご遺骨はお亡くなりになったそのままの状態で、見ていると、66年前のあの戦争に思いをめぐらせてしまいました。
戦後66年が経つ今なお、掘ればご遺骨が出てくるという状況に、改めてこの島が砲弾の暴風が吹き荒れた土地であり、地上での戦闘を繰り広げられた場所であることを知らされました。
具志堅さんにお話によりますと、遺骨収集は国の責任で行われるのですが、その作業はとても荒っぽく、壕があった地面を重機で一気に掘り起こすようです。そのときに出てきた土にまみれたご遺骨を拾うので、どのような状態でなくなられたのが分からなくなるようです。さらに体に身につけていたご遺品も国のやり方だと散逸してしまい、どのご遺骨から出てきたものが分からず、遺族の皆さんへ遺骨ごと返しづらい状況を作り出しているとのことでした。
ですから、できるだけご遺骨が見つかるような場所においては、できるだけ丁寧かつ根気がいる作業が必要なのです。こうした作業の進め方は、ボランティアの方がされておりましたが、ボランティアの方とて、長い日数をかけて行うものではないので、ご遺骨そのものを拾うことはかなり困難なようです。沖縄県福祉・援護課によると、平成22年3月末で今なお、草木や海岸線などに眠るご遺骨の数は3852柱です。
1年間に100柱掘り返しても38年間もかかってしまいます。ご遺族も高齢化しており、早めに遺骨収集事業を行う必要があり、国も支援の在り方を検討しています。
そのためにも雇用対策として、これらの作業を進める必要があり、その事業化を具志堅さんや山内さんから、私たち民主党に対して要請を受けているのです。
できるだけ多くのご遺骨を見つけ、ご遺族のもとへお返ししたいと思います。
まだまだ戦後は終わっていないし、沖縄戦は私たちの身近に横たわっていると感じさせられました。
今日は12時から観光コンベンションビューローと経済団体31団体の新年の集いに参加をしてきました。
経済界が中心の新年会で、いずれも来年3月末で期限切れを迎える沖縄振興計画並びに沖縄振興特別措置法について、代表者の挨拶で触れられておりました。
この1年間でどれだけ議論をし、大胆な制度設計ができるのか、私たちに課せられたものは、とても大きいものです。
さて、その新年会の合間に、遺骨収集の現場視察に行っていきました。この現場は、西原町幸地にあった、旧日本軍の陣地壕跡で、発見されたご遺骨がいまだに横たわっているという場所です。
案内をしていただいたのは、この現場で遺骨収集の指揮をとった、「ガマフヤー」の具志堅さんと作業員の多くを派遣された「プロミスキーパーズ」の山内さんです。
道路から少し籔の中を入り、仮設の階段を上ると、雨よけのブルーシートが旧陣地壕を覆っておりましたが、具志堅さんがそれをまくりあげると、掘り起こされて空洞になった壕に横たわった5柱のむき出しのご遺骨がありました。見た瞬間、私は思わず手をあわせてしまいました。ご遺骨はお亡くなりになったそのままの状態で、見ていると、66年前のあの戦争に思いをめぐらせてしまいました。
戦後66年が経つ今なお、掘ればご遺骨が出てくるという状況に、改めてこの島が砲弾の暴風が吹き荒れた土地であり、地上での戦闘を繰り広げられた場所であることを知らされました。
具志堅さんにお話によりますと、遺骨収集は国の責任で行われるのですが、その作業はとても荒っぽく、壕があった地面を重機で一気に掘り起こすようです。そのときに出てきた土にまみれたご遺骨を拾うので、どのような状態でなくなられたのが分からなくなるようです。さらに体に身につけていたご遺品も国のやり方だと散逸してしまい、どのご遺骨から出てきたものが分からず、遺族の皆さんへ遺骨ごと返しづらい状況を作り出しているとのことでした。
ですから、できるだけご遺骨が見つかるような場所においては、できるだけ丁寧かつ根気がいる作業が必要なのです。こうした作業の進め方は、ボランティアの方がされておりましたが、ボランティアの方とて、長い日数をかけて行うものではないので、ご遺骨そのものを拾うことはかなり困難なようです。沖縄県福祉・援護課によると、平成22年3月末で今なお、草木や海岸線などに眠るご遺骨の数は3852柱です。
1年間に100柱掘り返しても38年間もかかってしまいます。ご遺族も高齢化しており、早めに遺骨収集事業を行う必要があり、国も支援の在り方を検討しています。
そのためにも雇用対策として、これらの作業を進める必要があり、その事業化を具志堅さんや山内さんから、私たち民主党に対して要請を受けているのです。
できるだけ多くのご遺骨を見つけ、ご遺族のもとへお返ししたいと思います。
まだまだ戦後は終わっていないし、沖縄戦は私たちの身近に横たわっていると感じさせられました。
Posted by 上里ただし at 23:51│Comments(0)