
2010年03月15日
教育行政の貧困
最近、子どもの貧困という言葉を見聞きするようになりました。
子どもの貧困は大人の貧困から派生した問題ですから、大人を取り巻く環境を是正すべきではないかと思うのです。
大人の貧困を是正するのは、経済対策だけでなくあらゆる角度から取り組む必要があることは言うまでもありません。
私は、こうした問題の解決を地域社会では如何に取り組むかという視点で活動しています。
貧困というのは、物質的なものと精神的なものがありますが、いずれもその貧困から抜け出るためにも個人の意思が大切でしょう。
個人の意思とは、自分で感じ、気づきそして学ぶ中で育まれるものです。
素晴らしいことに社会にはそういう仕掛けがこれまで作られてきましたし、これからも時代やそれぞれの地域に合わせて必要なものでしょう。
その意味で私は市議会、県議会と一貫して地域における大人の学びの場づくりに取り組んできました。その一つとして図書館政策への取り組みがあるのです。
その大人の貧困も子どもの貧困も一朝一夕には変化するものではありません。
ましてやその貧困から学力への影響もしている中では、子どもの学力についても同じことが言えるのではないでしょうか。
そんなことを考えている中で政権交代が実現し、前政権が進めてきた学力の即席向上政策も変化を余儀なくされています。
そのこと自体、歓迎されるものかと思いきや、
「学力テストを全校実施したい」
という教育長の答弁には、憤りよりも悲しくなりました。
教育長の学力向上への力の入れ具合と反比例して、テストの結果は出ています。なぜ沖縄の子どもたちの学力が向上しないか、という分析は私の耳には聞こえてきません。
教育長が、子どもたちの学力が学校現場で一朝一夕に変わるものでなく、むしろ学校以外での要素がかなり影響していることを真面目に分析している気配はありません。
学力の背景にある家庭環境、社会経済環境そして文化などに問題問題に触れることが全くされていません。
こういう当り前のことが教育行政のトップから聞こえてこないことに、教育の貧困ではなく、教育行政の貧困が見えてくるのです。
学校現場の先生方は痛切にそのことを感じているでしょう。
誰もが分かることをしようともせず、学力テストにその問題解決を委ねる思考は、かなり問題です。
子どもの学力よりも、教育行政の貧困の方がかなり根深い問題です。
教育委員会は、各担当者の仕事ぶりについて批判するわけではありませんが、最終的に何もしない、何も変えようとしない、そして国から言われたことを無批判に受け入れるという体制がこびりついているように私の目には写っています。変えるのは子どもたちの学力ではなく、この体制でしょう。
くり返しになりますが、県教育庁の体制はかなり深刻です。この体制にメスを入れる時期に来ているのかもしれません。
子どもの貧困は大人の貧困から派生した問題ですから、大人を取り巻く環境を是正すべきではないかと思うのです。
大人の貧困を是正するのは、経済対策だけでなくあらゆる角度から取り組む必要があることは言うまでもありません。
私は、こうした問題の解決を地域社会では如何に取り組むかという視点で活動しています。
貧困というのは、物質的なものと精神的なものがありますが、いずれもその貧困から抜け出るためにも個人の意思が大切でしょう。
個人の意思とは、自分で感じ、気づきそして学ぶ中で育まれるものです。
素晴らしいことに社会にはそういう仕掛けがこれまで作られてきましたし、これからも時代やそれぞれの地域に合わせて必要なものでしょう。
その意味で私は市議会、県議会と一貫して地域における大人の学びの場づくりに取り組んできました。その一つとして図書館政策への取り組みがあるのです。
その大人の貧困も子どもの貧困も一朝一夕には変化するものではありません。
ましてやその貧困から学力への影響もしている中では、子どもの学力についても同じことが言えるのではないでしょうか。
そんなことを考えている中で政権交代が実現し、前政権が進めてきた学力の即席向上政策も変化を余儀なくされています。
そのこと自体、歓迎されるものかと思いきや、
「学力テストを全校実施したい」
という教育長の答弁には、憤りよりも悲しくなりました。
教育長の学力向上への力の入れ具合と反比例して、テストの結果は出ています。なぜ沖縄の子どもたちの学力が向上しないか、という分析は私の耳には聞こえてきません。
教育長が、子どもたちの学力が学校現場で一朝一夕に変わるものでなく、むしろ学校以外での要素がかなり影響していることを真面目に分析している気配はありません。
学力の背景にある家庭環境、社会経済環境そして文化などに問題問題に触れることが全くされていません。
こういう当り前のことが教育行政のトップから聞こえてこないことに、教育の貧困ではなく、教育行政の貧困が見えてくるのです。
学校現場の先生方は痛切にそのことを感じているでしょう。
誰もが分かることをしようともせず、学力テストにその問題解決を委ねる思考は、かなり問題です。
子どもの学力よりも、教育行政の貧困の方がかなり根深い問題です。
教育委員会は、各担当者の仕事ぶりについて批判するわけではありませんが、最終的に何もしない、何も変えようとしない、そして国から言われたことを無批判に受け入れるという体制がこびりついているように私の目には写っています。変えるのは子どもたちの学力ではなく、この体制でしょう。
くり返しになりますが、県教育庁の体制はかなり深刻です。この体制にメスを入れる時期に来ているのかもしれません。
Posted by 上里ただし at 21:18│Comments(0)