
2010年03月12日
竹富島のリゾート開発
沖縄を代表する景観と言っていいほどのすばらしい伝統的な赤瓦の家並みが広がる竹富島。
1987年、国により竹富島伝統的建造物群保存地区が重要伝統的建造物群保存地区として選定され、その景色と名前は全国的にも知名度が高い島であります。かつては竹富島のような風景が県内あちこちにあったのでありますが、沖縄戦によって灰燼となり、現在沖縄県内では、竹富島と渡名喜村のみが国から選定をされています。
こうした伝統的建築物を保存していくには住民同士の合意が必要であって、まさに国による選定を受けるまでに至ったのは、竹富島住民の「うつぐみ」の精神があったからでしょう。うつぐみとは一致協力の精神と言われており、毎朝白いサンゴの砂で敷き詰められた道を清掃するのも、その共同体の中で一致して取り組んでいるものであります。
その竹富島が、島の南東部に計画されているリゾート開発によって、住民世論が真っ二つに割れているようです。
私はこのリゾート開発に反対する住民から、
「なんとかこの開発を止めてもらいたい」
と懇願され、この問題に取り組んでいます。
リゾート開発の面積は6.7ha、竹富島全体の面積5.42km2からみると約1.2%ということなので、島の面積割合からするとそれほど大きな面積ではありません。
しかし、このリゾート開発によって移住し、増加するだろうとするのが70名でこれは現在の島の人口約350人からすると約20%で、島の共同体に与える影響は非常に大きなものとなっていくのです。また、人口増以外にも水の心配があります。
竹富島には水源地がなく、井戸やため池も住民生活を支える量はなく、貴重な水は石垣島から給水されています。
こうした竹富島への「分水」を石垣市も配慮をしているのですが、あくまでも石垣市としては、島の住民生活のために必要な水を供給しているのであって、リゾート開発のために給水しているのではありません。石垣市にとっても貴重な資源でありますから、石垣市や石垣市議会でも、竹富島リゾートへの給水に理解が得られておりません。
このような背景のあるリゾート開発への反対運動へ関わろうとするのも、この運動で浮き彫りになってきた島の共同体の問題が沖縄を象徴しているように思えてならないからであります。
何を象徴しているかというと、大きな資本や経済的効果という、総じて「お金」というものに対して、島の共同体が真っ二つに分断され、ついにはコミュニティをずたずたにしてしまう状態です。
また、そうした大きなお金を手に入れるために、地元から誘致運動を展開させ、あたかも地元も同意しているかのような手法をとるのも、沖縄の開発問題を象徴している現象です。
この大きなお金というものが米軍基地に代替されて、沖縄を揺れ動かしてきたのであります。ようやく基地の移設先として検討されてきた名護市ではこの手法に異を唱え始めてきておりますが、竹富島をはじめ沖縄の島々ではまだまだそうした大きな資本に共同体が左右されるという現実があります。
また、竹富島には3つの集落があり、500年前から集落同士が競い合うという関係のようでした。島の伝統的な祭りである種子取祭も3つの集落であったものを一つにまとめるなど、その共同体意識によって島を一つにしようと努めてきた先人達の苦労があったようです。
それが第四の集落が島の歴史と相反するように誕生し、その集落がある種独立して島の中に存在すること自体がこの運動の中心的人物から言わせると納得がいかないということのようです。
住民運動を展開する際に、住民生活を安定させる環境を求めることは聞いたことはありますし、実際私も那覇市おもろまちで取り組んでいますが、歴史性や共同体の一致を掲げるということはあまり聞いたことはありません。沖縄ではそうした価値に気づかないうちにその共同体が消滅してしまったので、こうした運動が生じることはありませんでしたが、だからこそ私にはこの運動の新鮮と理念に共鳴をしています。
なんとか反対する住民の意見を政治に反映されるようにと県議会で質問を繰り返しますが、なかなか決定打がなく苦しい状況です。島でも、反対運動をじわりじわり追い込むような状態になっているようで、必ずしも反対する住民の意に沿うような展開はされておりません。
それでも私はこの運動に関わっていきたいです。沖縄における共同体が今後どうなっていくのか、どうするべきなのかというヒントがあるように思えます。また、このブログでも問題を扱っていきたいと思います。
1987年、国により竹富島伝統的建造物群保存地区が重要伝統的建造物群保存地区として選定され、その景色と名前は全国的にも知名度が高い島であります。かつては竹富島のような風景が県内あちこちにあったのでありますが、沖縄戦によって灰燼となり、現在沖縄県内では、竹富島と渡名喜村のみが国から選定をされています。
こうした伝統的建築物を保存していくには住民同士の合意が必要であって、まさに国による選定を受けるまでに至ったのは、竹富島住民の「うつぐみ」の精神があったからでしょう。うつぐみとは一致協力の精神と言われており、毎朝白いサンゴの砂で敷き詰められた道を清掃するのも、その共同体の中で一致して取り組んでいるものであります。
その竹富島が、島の南東部に計画されているリゾート開発によって、住民世論が真っ二つに割れているようです。
私はこのリゾート開発に反対する住民から、
「なんとかこの開発を止めてもらいたい」
と懇願され、この問題に取り組んでいます。
リゾート開発の面積は6.7ha、竹富島全体の面積5.42km2からみると約1.2%ということなので、島の面積割合からするとそれほど大きな面積ではありません。
しかし、このリゾート開発によって移住し、増加するだろうとするのが70名でこれは現在の島の人口約350人からすると約20%で、島の共同体に与える影響は非常に大きなものとなっていくのです。また、人口増以外にも水の心配があります。
竹富島には水源地がなく、井戸やため池も住民生活を支える量はなく、貴重な水は石垣島から給水されています。
こうした竹富島への「分水」を石垣市も配慮をしているのですが、あくまでも石垣市としては、島の住民生活のために必要な水を供給しているのであって、リゾート開発のために給水しているのではありません。石垣市にとっても貴重な資源でありますから、石垣市や石垣市議会でも、竹富島リゾートへの給水に理解が得られておりません。
このような背景のあるリゾート開発への反対運動へ関わろうとするのも、この運動で浮き彫りになってきた島の共同体の問題が沖縄を象徴しているように思えてならないからであります。
何を象徴しているかというと、大きな資本や経済的効果という、総じて「お金」というものに対して、島の共同体が真っ二つに分断され、ついにはコミュニティをずたずたにしてしまう状態です。
また、そうした大きなお金を手に入れるために、地元から誘致運動を展開させ、あたかも地元も同意しているかのような手法をとるのも、沖縄の開発問題を象徴している現象です。
この大きなお金というものが米軍基地に代替されて、沖縄を揺れ動かしてきたのであります。ようやく基地の移設先として検討されてきた名護市ではこの手法に異を唱え始めてきておりますが、竹富島をはじめ沖縄の島々ではまだまだそうした大きな資本に共同体が左右されるという現実があります。
また、竹富島には3つの集落があり、500年前から集落同士が競い合うという関係のようでした。島の伝統的な祭りである種子取祭も3つの集落であったものを一つにまとめるなど、その共同体意識によって島を一つにしようと努めてきた先人達の苦労があったようです。
それが第四の集落が島の歴史と相反するように誕生し、その集落がある種独立して島の中に存在すること自体がこの運動の中心的人物から言わせると納得がいかないということのようです。
住民運動を展開する際に、住民生活を安定させる環境を求めることは聞いたことはありますし、実際私も那覇市おもろまちで取り組んでいますが、歴史性や共同体の一致を掲げるということはあまり聞いたことはありません。沖縄ではそうした価値に気づかないうちにその共同体が消滅してしまったので、こうした運動が生じることはありませんでしたが、だからこそ私にはこの運動の新鮮と理念に共鳴をしています。
なんとか反対する住民の意見を政治に反映されるようにと県議会で質問を繰り返しますが、なかなか決定打がなく苦しい状況です。島でも、反対運動をじわりじわり追い込むような状態になっているようで、必ずしも反対する住民の意に沿うような展開はされておりません。
それでも私はこの運動に関わっていきたいです。沖縄における共同体が今後どうなっていくのか、どうするべきなのかというヒントがあるように思えます。また、このブログでも問題を扱っていきたいと思います。
Posted by 上里ただし at 21:36│Comments(0)