
2010年02月21日
官房長官のお役人的行動
このブログを読んでいる方の中には公務員の皆さんも多いでしょう。
どういう経緯でこのブログまで辿りつかれたかは分かりませんが、私の拙い日々の日記のようなものを読んでいただいて有難うございます。
そうした皆さんには失礼な言葉かもしれませんが、公務員的なお役人的発想と行動というものは、分かりやすいです。また、政治家的な発想や行動というのも分かりやすいものがあります。
私自身が政治家ですから政治家的行動というのはよく分かりますし、公務員の皆さんと接する機会も多いので、その違いはよく分かります。ただ、それを説明しようとすると、何が公務員的で政治家的というのかは一般には分かりにくいのであります。
その中で公務員的だと分かるのは、秩序や序列を重んじるということです。記憶に新しい例では、2008年、沖縄県議会代表団が外務省沖縄事務所に要請行動を行った際、今井正沖縄大使が「来客中」を理由に県議会代表と面会せず、外務事務官に対応させたということです。外務事務官が「県議には副所長が対応しており、副所長は出張中」と説明したとのこと。「県議会議員には副所長が対応」、その上には「国会議員には所長(大使)が対応」という秩序が厳然としてあるのは事実でしょう。
それに対して政治家的というのは無秩序で情緒的あるいは刹那的ということなのでしょう。政治家的で思い出すのは、最近読んだ「国策のまちおこし 嘉手納からの報告(渡辺豪沖縄タイムス記者著)」で紹介されている場面です。
1997年橋本総理の梶山官房長官が嘉手納町長とやり取りをしていましたが、官房長官から町長へ直接電話で連絡したり、飛行場で会った嘉手納町長をホテルまで同行を求め、周囲の秘書官らを人払いして直接謝罪をしたことが記されています。梶山官房長官は沖縄の苦悩の歴史に理解と道場を示した政治家として知られていますが、官房長官としてはその側面に併せて基地の県内移設及び固定化に腐心をしていた様子がこの著作からうかがえます。政治家的というのは、政治家がその野望や目的を遂げようとするときに、細心の注意と大胆な行動のことを指すと言っていいでしょう。
長々と書きましたが、言いたかったことは平野官房長官の行動はお役人的です。もちろん日程を組むのはお役人ですから、それに則って動けばお役人的になるのは当然でしょう。
しかし、平野官房長官が一体何をしたいのかがよく分かりませんし、もしその野望を遂げられようとするならばもう少し政治家的な行動があっていいのかもしれません。私や県連役員に会って意見交換をせよと言っているのではありません。
もう少し民意というものを斟酌し、沖縄県民の理解を得る言動が必要なのではないでしょうか。
こともあろうことに自衛隊機でやってきて、沖縄県知事と会うのではなく、まずは国の出先機関の沖縄総合事務局に足を運びます。その翌日に県知事にあう日程を組んでいるのです。
先ほどお役人的行動が序列的だと申し上げましたが、まさに国が偉くて、県はその下だという発想のもとで動いています。
官房長官の肩を持つわけではありませんが、確かにこの日は県議会代表質問が行われ、知事が本会議場で答弁する必要があることから、不確定な知事日程より確定できる国の出先機関の内閣官房沖縄連絡室での訓示ということになったのかもしれません。
しかし、たとえ日程の効率性を検討した結果の行動であったにせよ、理解を得なければならない県知事より前に日程を組むことはないでしょう。それも訓示を仰々しく行うというこれまた儀式的で秩序的なものもお役人的なものです。
そんなことを考えて官房長官と来沖を見ていると、官房長官はほとんど官僚側がお膳立てをした通りにしか動いていないし、考えていないのでしょう。悲しい現実です。それも官僚依存から脱官僚へと旗を振る鳩山総理の女房役とも言われる官房長官が、もっとも官僚依存体質であるのは矛盾しています。
官房長官は様々な情報が集まる場所であり、それを駆使して閣僚の意見調整及び政権安定を狙う役割などがありますので、官僚だけにとらわれてしまうのは危険です。一刻も早く政治家的な行動をとっていただきたいですし、そのことが民主党の本領発揮につながっていくものだと期待をしています。
どういう経緯でこのブログまで辿りつかれたかは分かりませんが、私の拙い日々の日記のようなものを読んでいただいて有難うございます。
そうした皆さんには失礼な言葉かもしれませんが、公務員的なお役人的発想と行動というものは、分かりやすいです。また、政治家的な発想や行動というのも分かりやすいものがあります。
私自身が政治家ですから政治家的行動というのはよく分かりますし、公務員の皆さんと接する機会も多いので、その違いはよく分かります。ただ、それを説明しようとすると、何が公務員的で政治家的というのかは一般には分かりにくいのであります。
その中で公務員的だと分かるのは、秩序や序列を重んじるということです。記憶に新しい例では、2008年、沖縄県議会代表団が外務省沖縄事務所に要請行動を行った際、今井正沖縄大使が「来客中」を理由に県議会代表と面会せず、外務事務官に対応させたということです。外務事務官が「県議には副所長が対応しており、副所長は出張中」と説明したとのこと。「県議会議員には副所長が対応」、その上には「国会議員には所長(大使)が対応」という秩序が厳然としてあるのは事実でしょう。
それに対して政治家的というのは無秩序で情緒的あるいは刹那的ということなのでしょう。政治家的で思い出すのは、最近読んだ「国策のまちおこし 嘉手納からの報告(渡辺豪沖縄タイムス記者著)」で紹介されている場面です。
1997年橋本総理の梶山官房長官が嘉手納町長とやり取りをしていましたが、官房長官から町長へ直接電話で連絡したり、飛行場で会った嘉手納町長をホテルまで同行を求め、周囲の秘書官らを人払いして直接謝罪をしたことが記されています。梶山官房長官は沖縄の苦悩の歴史に理解と道場を示した政治家として知られていますが、官房長官としてはその側面に併せて基地の県内移設及び固定化に腐心をしていた様子がこの著作からうかがえます。政治家的というのは、政治家がその野望や目的を遂げようとするときに、細心の注意と大胆な行動のことを指すと言っていいでしょう。
長々と書きましたが、言いたかったことは平野官房長官の行動はお役人的です。もちろん日程を組むのはお役人ですから、それに則って動けばお役人的になるのは当然でしょう。
しかし、平野官房長官が一体何をしたいのかがよく分かりませんし、もしその野望を遂げられようとするならばもう少し政治家的な行動があっていいのかもしれません。私や県連役員に会って意見交換をせよと言っているのではありません。
もう少し民意というものを斟酌し、沖縄県民の理解を得る言動が必要なのではないでしょうか。
こともあろうことに自衛隊機でやってきて、沖縄県知事と会うのではなく、まずは国の出先機関の沖縄総合事務局に足を運びます。その翌日に県知事にあう日程を組んでいるのです。
先ほどお役人的行動が序列的だと申し上げましたが、まさに国が偉くて、県はその下だという発想のもとで動いています。
官房長官の肩を持つわけではありませんが、確かにこの日は県議会代表質問が行われ、知事が本会議場で答弁する必要があることから、不確定な知事日程より確定できる国の出先機関の内閣官房沖縄連絡室での訓示ということになったのかもしれません。
しかし、たとえ日程の効率性を検討した結果の行動であったにせよ、理解を得なければならない県知事より前に日程を組むことはないでしょう。それも訓示を仰々しく行うというこれまた儀式的で秩序的なものもお役人的なものです。
そんなことを考えて官房長官と来沖を見ていると、官房長官はほとんど官僚側がお膳立てをした通りにしか動いていないし、考えていないのでしょう。悲しい現実です。それも官僚依存から脱官僚へと旗を振る鳩山総理の女房役とも言われる官房長官が、もっとも官僚依存体質であるのは矛盾しています。
官房長官は様々な情報が集まる場所であり、それを駆使して閣僚の意見調整及び政権安定を狙う役割などがありますので、官僚だけにとらわれてしまうのは危険です。一刻も早く政治家的な行動をとっていただきたいですし、そのことが民主党の本領発揮につながっていくものだと期待をしています。
Posted by 上里ただし at 00:30│Comments(0)