
2010年01月03日
取扱説明書

朝から、那覇市新都心地域のショッピングセンター周辺は大渋滞でした。
私はかねてから分からなかった携帯電話の使い方を教えていただこうと、とある携帯ショップに行きました。
銀行のようにロビーウーマンがいたので、来店目的を告げたところ、
「15分かかります」
と言われました。子どもと一緒に来ていたので、しばらく子どもが店内で遊ぶ姿を追いかけていました。
しかし、15分すぎてもお呼びがかかりません。さらに、店内には所在なさげな店員が何度も目の前を通りすぎていきます。店内の客は私ともう一組。なぜ待たされているのか分からず、別の店員にもう一度来店目的を告げたところ、
「今、カウンターの端末がいっぱいです」
と苦情に対応するような通り一辺倒な返事がありました。
その言葉でつい頭の何かが弾けて、
「携帯の使い方を端末で調べるのですか?」
と口に出しました。その店員はあたふたして、
「どの部分をお尋ねなのでしょうか」
と丁寧に聞き返しました。
私は二つ、三つ不明な点を上げて、調べてもらうことにしました。
そうすると店員は、受話器を持って、どこかへ電話をしています。およそ10分かかり、私が待っているところへくると、
「(お客様のご不明な点は)取扱説明書の○ページに書いてありました」
と誇らしげに言うではありませんか。
「そんなこと知っていればこんな所まで来るわけないだろ!」「店員のあなたですら電話で問い合わせをしたんでしょ」
と内心突っ込みながら帰ってきたのでした。
携帯電話は最近、多機能になり、より便利になりました。この小さな機器は、時代の便利さを象徴しているような存在と思えてならないのです。通話だけでなく、写真撮影、動画録音、インターネットそしてメールとその機能を全て使いこなせばかなり便利でしょう。さぞかし、この小さな機器に内蔵されている「機械の頭脳」が優秀なのでしょう。
しかし、その便利さよりも、機器の使い方が分からなかったり、誤作動してしまった際に、正常に戻す時に不便さを感じるのは私だけではないかと思います。
そして、その「非常時」に、機械ではなく人間に頼っていることに気づかされます。
確かに取扱説明書を隅から隅までよみこなし、電話で問い合わせをすれば来店する必要はありません。しかし、取扱説明書をじっくりと読むことができないほど、現在に生きる私達には時間がなく、何かに頼れば解決できる社会になっています。よって、あの分厚い取扱説明書はほとんどの人が目を通さなくなっているのではないでしょうか。
先程の携帯電話の話に戻しますと、誰かに使い方を話そうにもなかなか伝わりにくいから、店員に直に話をしたいという欲求に駆られます。
そんな要求に応えるために人を配置しなければならないというのも、全国に携帯ショップが展開されていく要因になっているのではないでしょうか。コールセンターでは対応できないもどかしさ、対面した応対には安心と満足が得られるのではないかと思うのです。
今日感じたことは、便利さに生きる私達の不安や不満を解消し、安心や満足という豊かさを得るためにも、人が必要だということです。
便利で豊かな社会には、人と機械、人と人をつなぐ役割が求められていくでしょう。
このような人材配置は、決して画期的な発明ではなく、地味な存在かもしれませんが、社会の前進を促す重要な位置を占めるものと期待したいです。
(写真:本屋さんで立ち読みする息子静かな本屋さんで、大きな声が出ていました。)
Posted by 上里ただし at 22:32│Comments(0)