
2009年02月04日
薩摩侵略400 年

夕方、研修の合間にホテル側の加治屋町にある西郷隆盛の生誕地、大久保利通の生い立ちの地を訪れました。他の人物の生誕碑もあり、この甲突川のほとりの加治屋町のわずか数区画にこの地から明治維新を成し遂げ、その後の日本の近代化を進めた人材が輩出されたことをしみじみ感じておりました。
また昨年放映が終わった大河ドラマ「篤姫」の人気も衰えることなく、各地でそのキャラクターを見かけました。
篤姫を江戸に送り、西郷隆盛や大久保利通を生み出した、当時の薩摩藩はさながら日本を突き動かす一大人材産地となっていたことでしょう。その原動力となった要素は大きく三つあるかと思われます。一つが下級武士らの郷中教育、また一つが幕末期に幕政にも参画し、周辺諸国の情勢と日本の近代化を意識した島津斉彬公の存在、そして琉球を支配し、奄美を直轄地にし、砂糖などの輸出で蓄えられた経済力であると言えるのではないでしょうか。
最後の経済力を身につけた琉球、奄美の支配への契機となったのは、今からちょうど400年前の薩摩の琉球侵攻であります。ただ、薩摩が琉球を完全なる支配下に置いたのではなく、コントロールできる状態を保っていたと言えるてしょう。いずれにせよ侵攻の事実自体が消えることはなく、その後の沖縄の行く末が変わっていったことは事実でしょう。
今年はその侵攻から400年で、沖縄でも奄美でも400年を記念した事業を様々な団体が計画を進めているようです。鹿児島ではどのような事業をするのか分かりませんが、沖縄と奄美と鹿児島県が歴史をのりこえられるような事業ができないものなのかと思うのであります。
(写真:ライトアップされた大久保利通の銅像)
Posted by 上里ただし at 23:01│Comments(0)