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2009年01月06日

伝統工芸の担い手育て 焼物編

これまで壷屋焼や紅型などの伝統工芸の分野に関心を持ってきました。

この分野に関しては、一消費者として、沖縄の伝統工芸産業の現状に憂える立場として、そしてこの産業はマーケットを意識してそのデザインを磨き、販路を増やしていけば可能性が広がると信じている政治家として問題意識を抱いております。

とはいえ、これまで具体的に政策提言が出来たというわけではありません。
私自身の知識などが十分まとまらなかったことや那覇市政としてこれを取り上げることの限界を感じていたこともそうした背景となっていました。
しかし昨年6月に県議となったことで、この問題を全面的に取り上げる環境が整いました。
今年一年の課題として、伝統工芸産業の課題について指摘、提案をしていまいりたいと思います。

その第一弾として陶磁器産業、とりわけ壷屋焼をめぐっての課題について取り上げていきたいと思っています。なかでも人材育成について沖縄県の現状について述べていきたいと思っています。
どこに課題があるのか文献、聞き取り、私の考え方から探っていきたいと思います。体系的にまとめるのは難しいと考え、単発的に提案もさせていただきます。

まずは沖縄県の子どもたちがどこで焼物と触れる機会を持てるのだろうか、というところから始めたいと思います。人材育成よりも先にこうした焼物に触れる機会をいかに作り出し、その学びと関心を引き付けることが大切ではないかと思ったからです。焼物の職人の家に育った家庭なら小さなころから焼物に触れることはありますが、現在の子どもたちがそうした環境を得られるかというそれは難しいでしょう。

焼物といえば伝統的技法によって作られた壷屋焼があります。
沖縄の伝統的焼物である壷屋焼は1682年、琉球王国の王府によって各地にあった窯を壷屋の地に一つにしたところから始まります。窯を工場と例えるのは適切ではないかもしれませんが、いわば王府の官製工場という性格があったのではないでしょうか。以来、約320年の歴史のある焼物であります。壷屋焼はいろんな時代を経て、戦後の厳しい時期もくぐりぬけてきて今日にいたっています。この産業からは金城次郎さんという人間国宝を生み出すなど沖縄の伝統工芸が芸術的な側面も持ち合わせた存在にもなっています。

こうした焼物として歴史を有しながら沖縄の子どもたちは焼物に触れる機会があるのだろうかというのが問題意識としてあります。私自身の体験からはそうしたことはありませんでした。私の弟などは普通高校の美術の授業の一環で、芸術家の講師から教わったことがあるとのことでした。ただ、子どもたちがろくろを回し、窯にいれて仕上げた経験はそれほどないのではないかと思うのです。

そうした背景となっているのは物理的な問題点が大きいからではないでしょうか。特に焼物を焼くための窯がないと学校内で学ぶことができません。窯は登り窯のように土を練ってかなり大がかりなものもありますが、学校現場にそうした窯を作るのは簡単なことではないことから電気窯の設置が必要となってきます。設置費用にお金がかかることとその機会を動かす人間の確保が難しいことから学校での設置はあまり進んでいないのではないかと思うのです。

そこで、今、県教育庁義務教育課、県立学校課を通して、電気窯を設置している小中学校、県立高校が何校あるのかということを調査しています。また、小中学校、県立高校において焼物に触れる体験学習、職場体験実習などの実施について調査をしております。

沖縄県では芸術分野を専攻するためのコースの設置が県立開邦高校、首里高校の染織科くらいしかありませんが、それでも陶芸を生業とするために専攻できるようなコースや科目設定はないようです。では県内の学校現場においてその人材育成のあり方をどうしていけばいいのかというところをもう少し探ってみたいと思います。

このシリーズは不定期で掲載します。連載ではありませのでご了承ください。写真:一昨年開館した県立博物館・美術館の電気窯。今日、訪問して見せてもらいました。県内に設置されている電気窯としては最も新しいものだと紹介されて見に行きました。こうした窯をもっと活用して小中学校の生徒が焼物に触れる機会を増やしていたえだきたいと現場の職員に要望してきました。)



Posted by 上里ただし at 20:08│Comments(0)
 
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