2011年05月15日 23:32
今日は沖縄が日本に復帰した記念日であり、復帰後39年を迎えました。
その復帰した年の年度にあたる時期に生まれた子どもたちを沖縄では、「復帰っ子」とよび、私もその一人であります。他府県の皆さんに、「復帰っ子ってなあに?」と聞かれるくらい、本土ではなじみのない言葉です。
今日はその仲間達で作る沖縄県復帰っ子連絡協議会主催のシンポジウムが那覇市立中央公民館で開かれ、私も参加してきました。
今日のシンポジウムでは発表者だけでなく、参加者の声も聞けたのでありますが、その中で本土から沖縄へ移住してきた方のコメントが印象的で、私たちが日ごろ感じないような発言をされました。その発言とは、
「沖縄では復帰に関するイベントが意外と少ない」
ということでした。確かにそうだと感じました。復帰の日に合わせて行う復帰記念大行進が今日も行われくていますが、本土からの参加者が多く、沖縄県民の主体性を感じられない様子です。沖縄県民が主体的に復帰の日をお祝いしたり、集まって復帰の是非について論じることがないのは、復帰時の複雑な思いがあったとその方がお話をしていましたが、その通りでしょう。私なりに説明を加えると、「復帰したことへの後ろめたさ」もあるということです。
復帰を叫んできた人達からすると、復帰後も変わらぬ米軍基地のおかれた状態や基地に起因する様々な問題が解決されない状態に不満をお持ちなのは当然かもしれません。一方で、復帰後の様々な公共投資の恩恵も受け、社会インフラが構築できたことを復帰の成果であることに一定の評価をされているのも事実です。これら不満と評価が入り混じった感情を県民がなかなか整理できずにいるのも、イベントが少ない理由ではないかと考えております。
来年復帰40年を迎えることで、私たちも40歳になります。40歳になっても、子ども扱いをされたくはないので、そろそろ「復帰っ子」を卒業しようではないかという問いかけがされており、この協議会も来年のイベントを持って解散の方向のようです。その来年のイベントをどうするのか、ということも今日のシンポジウムで話合われましたが、具体的な内容が詰まっているわけではありません。ただ、沖縄の未来に向けての何らかの集まりは今後もつなげていきたいと感じました。