逆琉球処分へ
新しい年が明けました。
とにかく昨年より良い年に向けて頑張ります。
さて、私は元旦からゴロゴロと寝転びながらこれまで本棚に寝かしていた本を読んでいます。読みながら居眠りをし、目覚めたらまた読んでという一日をすごしておりました。
今日読み終えたのは、「小説 琉球処分」(大城立裕)、昨年菅直人総理が就任記者会見で読んだという小説です。
この小説は地元紙の琉球新報で1959年から60年にかけて連載され、その後、1968年に単行本で刊行されました。菅総理の発言によって、文庫本で再び出版され、話題を呼んだ小説です。
私が手にしたのは、ケイブンシャ文庫から出たもので、著者自身があとがきで述べていたのは、連載当時は関心が集まらなかったのに、復帰直前に注目され出したとのことです。
復帰に関わる政府役人が参考にしていた様子が書かれていましたが、復帰から10年も経つと日本復帰が「第二の琉球処分」だと地元で言われはじめたようです。
昨年、この本が菅総理の発言によって、広く知られるようになると、基地移設の押し付けと絡めて「第三の琉球処分」のように地元では扱われていたような感じがします。
感じがします、と書いたのは、はっきりとそのような文字が新聞に書かれていたかと言われると、はっきりしていないからであります。
確かに政府の方向性とそれを有無をいわさず沖縄に押し付けようとする姿勢は、約140年前の出来事とダブらせるものがあります。ただ、日本政府をはじめとして周辺各国の政治状況が違っている上に、沖縄県内の政治は琉球処分当時と比べると異なっているように思えるのです。
当時の政治状況を小説から受ける印象としては、近代国家を目指す日本政府が近隣諸国との軋轢も乗り越えてでも、琉球国を併合しようとする姿勢に対して、琉球の指導者はなす術もなく右往左往している様子です。
約140年後の現在の基準で過去の指導者の姿勢を判断することはよくありませんが、琉球国がどうあるべきなのか、どうすれば生き残るのか、というのが先人達には見通せなかったのかもしれないでしょう。それが悪いというよりは、むしろ日本の動きと周辺諸国の動きがあまりにも速すぎたのでしょう。
ただ、現在の知事をはじめとするやる気のある県庁職員、学者、企業経営者などの話やその姿勢を見ると、沖縄県の行方をはっきりと見据えて発言しているように思えます。これまでと違って、はっきりと政府にモノを言い、時には交渉しながらも、自らが得ようとするものを手に入れる沖縄がもう少し先にあるように思えます。
これは私の楽観的な見通しだと一笑にされてもいいでしょう。ただ、沖縄県の意思が固まりつつあるようで、それがあの時代と決定的に異なっているということです。
この沖縄のその意思が変容しつつあることと、それを真正面から受け止められないのは、今の政府なのです。こうして見ていると、「小説 琉球処分」がダブって見えるのは、当時の琉球国と現在の政府指導者の姿です。
小説の中の出来事と現在の動きを単純にダブらせるだけでは、あまり意味がないでしょう。ただ、沖縄の意思が変容しつつあることと、その意思が強固になりつつあることをあの小説と敢えてダブらせるとするならば、あの坂の上の雲をめざす明治政府でしょう。そうなれば、あの小説と逆のストーリーを描くことは可能なのかもしれません。
そのストーリーの先は、「沖縄の独立」というのは無理がありますが、現代における「琉球国化」というのだと思っていますが、そうなるのはまだまだ時間がかかるでしょう。
その夢を見ながら、今年ももがいてみたいものです。